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月刊絵夢絶党のひ・み・つ 其乃參

絵夢絶党の正式名称は「マイクロコンピュータクラブ・ゼロ "Micro computer club Zero"」という。このことは今や会員たちの中でも知るものは少ないかもしれない。この名称の頭文字“MZ”から「エム・ゼット」→「絵夢絶党」となっているのである。つまり「絵夢絶党」は別称なのである。その証拠として右の写真をアップしておく。昭和60年に発行された会員証であるが、その正式名称が最上行に明記されている。
 「MZ-80シリーズユーザのサークルだったから、その機種の型式である“MZ”を取ったんじゃないの?」と思われるかもしれない。だが違う。もともとはそうだったんだけど、違うのである。今や(株)シャープはMZという型番のパソコンは生産していない。というか、ずいぶん前からしていない。さらにそれ以前から、国産パソコン(当時は「マイコン」と呼んだ)はシャープとNECと日立以外からもいろいろな機種が発売されるようになり、MZシリーズのユーザだけのサークルでは閉鎖的過ぎるようになった。そのため、所有機種による入会制限がなくなった時点で、サークルの名称の見直しを行ったのである。

 「絵夢絶党」という名称は昭和56年から使用されている。それ以前の名称は何だったかというと「SMUC(スマック)」といった。"Super Microcomputer User's Club"の頭文字をとったものである。だが実はこれも後にあてたもので、もともとは「杉並マイコンユーザーズクラブ」の略なのである。「富山のサークルなのに、なぜに東京都の地名が?」とツッコミが入るところだろう。ところが読んで字の如く、杉並区のマイコンサークルの富山支部だったのである。この辺りの経緯は複雑なので割愛するが、ともあれ25年以上の歴史を持つ、老舗パソコンサークルであるということをご理解いただきたい。
 月刊絵夢絶党はサークルの名称が正式に「Micro computer club Zero 絵夢絶党」となり、その後すぐに機関誌として誕生した、10数頁~90頁弱のコピー誌である。原稿は月に一度、会員各自が持ち寄り、それをその場でそのままコピーし、ホチキスで止め、各自に配る・・・という画期的システムにより作られていたのである。
 さて、さらなる秘密である。これは月刊絵夢絶党のひ・み・つではなく、クラブ絵夢絶党としての秘密かもしれない。実は絵夢絶党はオリジナルブランドによる市販ソフトの開発も行っていたのである。
 開発は絵夢絶党、販売は(株)無線パーツが行っていた。メディアは当時主流のCMT(カセットテープ)である。以下はそのラインナップの一部である。
  Zero Soft ラインナップ
・Transfer Loader (for MZ-80K/C) 元祖!バックアップツール
・Transfer Loader (for MZ-80B) IPLから起動するバックアップツール
・通り魔少年ゲーム (for MZ-80K/C) スタートレック風シミュレーションゲーム
・PENSAN (for MZ-80K/C) SEGAの「PENGO」風アクションゲーム
・ウルセイアドベンチャー (for MZ-80K/C) テキスト型アドベンチャーゲーム
・CRT CANVAS (for FM-7) グラフィックツール
・他
 どれも大量に売れたということはなかったが、売れたものはそこそこ売れた(微妙な言い回し)。しかし、実際の販売本数からすれば、もし全国展開していればかなりの売り上げにはなったはずである。そのほとんどがアセンブラによって作られたソフトだった。
 絵夢絶党の市販ブランド「Zero Soft」は初回生産のみで終了してしまったが、それから時代が下って、X1シリーズ用シューティングゲーム「リボルティー」を開発するに至る。これはコミケで売られ、あっという間に「完売」することになる。このソフトは(有)風雅システムに引き継がれ、「リボルティー2」として全国販売されるに至るのである。