H25/10/11
まえがき
 浅田党長のMZ-80K改造記をリスペクトして私の愛機「MZ-80C」の改造歴を熟々と書いてみました。党長ほどではありませんが、いろいろと手を入れた経歴があります。遙か昔のことなのに、いざ書き始めてみると様々な思い出が呼び起こされてきて驚きです。やはり、私の青春のど真ん中を貫いていたのが「MZ-80C」だったのですね。
倍速に
 当時のMZ-80ユーザのかなりの人が行っていたであろう「改造の初歩」です。MZ-80K/CシリーズのCPUは「Z-80 2MHz」であり、当時の競合機であるPC-8001のCPU「Z-80A 4MHz」に遥かに劣っていました(CPUだけを見れば(^_^;))。そこで、一気にクロック周波数を倍にして、処理能力を単純に2倍にしようというわけです。

 「そんなことして、周辺の回路は倍速について行けるの?」

と、突っ込まれそうですが、これが意外と大丈夫なのです。シャープさんの設計が余裕をもたせてあったというべきでしょうか。「倍速基板」なるものも販売されていましたが、それでは自作派は満足しません。また、お金もかかってしまいます。ゲートIC2個でできる簡単な倍速ボードを作って愛用していました。回路はごく簡単で、2MHzと4MHzの切り替え時のタイミングをとるだけです。

 「えっ?!CPUは?」

と、突っ込みたくなりますよね。でも、こちらも運が悪くない限り大丈夫でした。Z-80互換CPUのシャープ製CPU「LH0080」のクロックはMAX2.5MHzでしたが、そのほとんどが4MHzでも安定に作動しました。もし、運悪く動かなかったらZ-80Aに差し替えるまでです。ちなみに絵夢絶党内部でも多くの党員がこの倍速改造をしていたようでしたが、CPUをZ-80Aに換装せざるをえなかったのは私の知る限り一名だけでした。また、2MHz←→4MHzの切り替えはトグルスイッチで行いました。私は最後までこの自作倍速ボードを愛用していました。

 余談ですが、倍速モードにするとプログラムやデータの保存(SAVE)や読み込み(LOAD)も倍速になり、当時の外部記憶媒体であったカセットテープのSAVE/LOADが半分の時間になりました。が、当然、エラーの発生率も高くなり、難しい選択を迫られたのを憶えています。

PCGボード(プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータ)
 党長の記事「MZ-80K改造記」にも登場していますが、キャラクタグラフィックしかなかったMZ-80K/Cシリーズにドット単位のモノクログラフィックもどきを提供するハードウェアです。HAL研究所から、確か\44,800で販売されていました。これはキャラクタパターンを任意に設定できるようにするもので、256個あったMZ-80K/Cのキャラクタ文字の後半128個を任意パターンに定義可能にします。前半128個のキャラクタには数字や記号やアルファベットなどの使用頻度の高い文字が定義されていたので、このような仕様になっていたと思われます。「ギャラクシアン」や「スーパーエイリアンディフェンダー」などのソフトが販売されており、かなり出来が良かったのを憶えています。これらのソフトをPCG無しで動かすと、カタカナ文字(後半128個に定義されている)が襲ってくるというシュールな画面になりました。ギャラクシアンなどは「シイハキ」「ミラリモ」などの文字が攻めてきましたorz。

 これを自作します。もちろん回路図などの情報はありませんから自分で考えます。ビデオ回路に接続されているキャラクタROMをRAMにすげ替えることができれば良いわけです。もちろん、そのRAMはCPUから見えるように接続できないといけません。切り替え回路が必要になります。これを「できるだけ安く」作ります。キャラクタROMのサイズは2KBでしたから、容量2KBのC-MOS RAMである6116LP3を使いました。これだけで\3,000くらいした記憶があります。あとはセレクタICといくつかのゲートICです。材料費で\5,000くらいでしたでしょうか。思いつくまま回路図を書いて、何度も頭の中でチェックをして製作しました。オシロスコープなど持っていませんでしたから、信号のチェックなどは全くできません。行き当たりばったりです。

 ボードを製作と平行してソフトも作りました。市販のHAL研究所のPCGと互換性がないと先出のギャラクシアンなどのソフトがプレイできませんから、互換性を実現するプログラムを作ったわけです。市販品と異なり、2KBを丸ごと書き換え可能になっていますから、ROMの内容を一旦全部RAMにコピーするようにしました。

 理論的にはこれでうまく行くはずでした。ところが実際にはなかなか安定に動いてくれませんでした。タイミングが良いと面白いくらいにちゃんと作動し、ギャラクシアンなども全く問題なくプレイできました。が、機嫌が悪いと画面がノイズだらけだったり、キャラクタの定義に失敗したりと、ストレスが溜まるものでした。まあ、素人が思いつきで作ればこんなものです。今にして思えば、しっかりとパスコンなどを入れ、回路もけちけちしなければ・・・・となるのですが。これは浅田党長が改良版を作ってくれましたので、そのたたき台となってくれたと思うことにしました。

 面白いもので、あれだけグラフィックに憬れを持っていたのに、一時的でもグラフィックができるとわかると熱が冷めてしまい、PCGボードは外してしまいました。「MZ-80K/Cはキャラクタマシンで良いのだ!」と再認識できました。ちなみにその頃、阿閉氏はフルグラフィックボード(320x200dot)を自作して載せていたということです(これは阿閉氏入党前のお話しです)。

PSGボード(プログラマブル・サウンド・ジェネレータ)

 MZ-80K/Cは任意周波数のサウンドを発声できました。ただし単音で音色は固定。「音楽を奏でる」と言うより「音が出る」程度のものでした。そこに登場してきたのがGI社のPSGチップ「AY-3-8910」です。まあ、サウンドジェネレータとは言っても波形は矩形波と鋸波と三角波でしたが。3和音でノイズも発声でき、音量のコントロールもできたので、音色にさえこだわらなければ「音楽演奏」らしきものができるチップでした。

 このチップの存在を知ったときは衝撃でした。簡単にCPUに接続でき、自動演奏が可能になるわけですから。このチップは当時すでに\3,500程度で入手できましたので、思い切って2個購入しました。これで私のMZ-80Cで6和音の演奏ができるようになるのです。ワクワクものでした。が、このチップの詳細情報がわかりません。LSIチップがあっても、これでは何もできません。いろいろ調べて、通販で英文のマニュアルを手に入れました。たかだか3mm程の厚さのマニュアルが\3,000もしたのには参りましたが・・・。あとはこれを必死で和訳してボードを設計し、制御ソフトを作るだけです。

 このマニュアルには音階を決定するための「分周比」の一覧が載っていたのですが、クロック周波数が3.58MHzの場合のみで、水晶振動子が4MHzのMZ-80K/Cの場合にはすべて計算し直さなければなりませんでした。8進数での再計算はぞっとするほど手間のかかるものでした。私は迷わず3.58Mzのクリスタル(=水晶振動子)を\200で購入し、ボードに載せました。このころ、私と全く同じ事をしていた前川氏は根性で再計算したそうです(-人-)。

 このボードは一発で思い通りに動いてくれました。演奏データも何曲か打ち込んで6和音を堪能していました。このころ、おとなり石川県は金沢市でパソコンフェアが開催されることになり、出展物を考えていた(株)無線パーツの社長さんが私のマシンに目をお付けになりました。結果、改造例ということで、PCGボードとPSGボードを装着した状態で私の愛機はフェアでデモ機として展示されることになったのです。ちなみに私はそのブースの担当者ということでアルバイトをすることにもなりました。来場者の中には私のMZ-80Cを見て、

 「普通ここまでやらねえよな」

とか

 「酷いな・・・」

とぽつりと言う人など。((゜◇゜)ガーン)

まあ、一部、基板三枚重ね、みたいになっていたのでしょうがないのですが。

モニタROMの交換
 ある日、私は某雑誌に掲載されたMZ-80K/CのモニタROM(4KB)の改造記事に衝撃を受けました。MZ-80K/CのモニタROMといえば「SP-1002」と呼ばれるもので、「LOAD」と「GOTO」と「SG/SS」と「FD」の5つのコマンドしか無いものだと思っていたのに、その改造ROMはなんとメモリダンプや、任意メモリの書き換えなどができたのです。モニタROMを解析し、プログラムの無駄を省き、それで余ったスペースに追加機能を詰め込んだのです。作者に拍手でした。一般に使用されるROMルーチンコールのアドレスなどは一切変更されていないため、ほぼ完璧な互換性を持っていました。

 すぐにでもこの新モニタROMに換装したい!と思ったのは私だけではなかったはずです。でも、これがかなりハードルが高かった。ROMライターが必要だったからです。当時の一般的なROMライターが十数万円もしたのです。しかし、その当時の私はめげませんでした。当時は大学生だったので、大学の電子工学科にはROMライターのひとつくらいはあるだろうと考えたのです(ちなみに私は理学部)。そこで、サークルに電子工学科の先輩がいたのを良いことに、研究室のROMライターを一日貸して欲しいと頼んだのです。優しい金田先輩は無理してROMライター(商品名:ペッカー)を持ってきてくれました。私は身も凍る真冬のアパートで1バイトづつデータを入力し、EP-ROMの2532に書き込みました。ちなみにペッカーには4桁のアドレスと2桁のデータを表示する機能しかありません。とても入力値をチェックする気にもなれず、一発勝負でROMライターを先輩に返しました。

 自宅に帰り、モニタROMを差し替えると、見事に起動。夢の「モニタでメモリダンプ」もできました。しかし、何かが変でした。カーソルパターンが別のキャラクタになっていたのです。一旦ROMに焼いた後のチェックは簡単でした。自身のメモリダンプ機能で自身をメモリダンプすれば良いのですから。浅田党長に手伝ってもらってデバッグをすると、3つもバグが見つかりました。さて、これからがまた問題です。バグがわかったからといっても簡単に修正できないのです。新モニタROMはEP-ROMに焼いてあるので、一旦データを取り出して修正し、紫外線で消去してから再書き込みを行わねばなりません。ROMライターはもうありません。どうしようかと思案しましたが、考えてばかりいても埒があきません。犬も歩けば棒に当たるで、行きつけでない大学前のパソコンショップに行ってみることにしました。するとあったのです。ROMライターが。PC-8001に接続して使用するタイプのもので、簡単にコピーができるものでした。すぐに店主と交渉したところ、

 「そのROMのデータをくれるんだったらいいよ。」

ということで話がまとまりました。もともと雑誌に公開されたプログラムでしたので著作権上の問題はありません。バグ付きROMをライターにセットして内容を読み込み、PC-8001上で修正し、新しいEP-ROM 2532をセットして書き込みました。もちろん、浅田党長の分も。また、この新モニタROMにはちゃんと作者が付けた名称があったのですが、長ったらしかったので「SP-1003」と書き換えてしまいました。作者さん、ごめんなさい<(_ _)>。

終焉
 実は他にも画面の白黒反転機能や、外部キーボードの拡張など、いろいろと遊んでいたため、私のMZ-80Cは浅田党長のMZ-80Kのように元の面影が薄くなっていました。そんなとき、何をやらかしたのか、私のMZ-80Cはウンともスンとも言わなくなってしまったのです。自分で修理するという手もあったのでしょうが、ちょうど大学のテスト時期とも重なったので、メーカーに修理依頼をすることにしました。シャープの営業の南さんは私のMZ-80Cの蓋を開くと、すぐにゆっくりと閉じ、

 「このマシン、うちのじゃないです。」

と一言。私が試験で忙しいのを知っていた(株)無線パーツの店長の守山さんが私の改造をすべて外し、パターンカットも修復してからメーカーに送ってくれました。感謝してもしきれません。ここまでしてもらって改造を続ける気にはなりませんでした。改造モニタROMと倍速ボードのみを取り付け、あとは大人しくMZ-80Cを使うようになりました。そしてそのころ、あのFM-7が発売されたのです。生まれて初めて自分でローンを組んで買った、あのFM-7が。(なんらかの形で続くかも・・・)