むかしむかしのものがたり。その頃、私はヒマでした。世に言うところの浪人生。当時は「パソコン」なんちゅう言葉は存在しません。そう、「マイコン」!そんな時代でありました。
さて、私の家の近くのユニーが改装して「マイコンショップ」ができたと想ってください。私はヒマです。やっぱり行きました。
今じゃデパートの「パソコンコーナー」ヘ行っても、キデイなデモが走ってて「デモ中につき触れないでください」とか注意書きがしてありますね。ところが当時は全然逆。
まずコンピュータを知ってもらわなきゃなりません。展示中のコンピュータの前にはイスが並んでいます。「とにかく、一度触ってくださいよ」の一点バリ。それでも、触ろうする人はホトンド皆無。そして、私はそのホトンド皆無の中のひとりであったのでした。
私、通いつめました。正直に言います。自分の使う台まで密かに決めておりました。スイッチを入れると勝手にBASICが立ちあがる、あのクリーム色のボディの奴。テンキーが付いてるのが大ヒット。ファンクションキーは………使った記憶がありません。でも、あったような気もします。名前は知らないけれどとっても「かあいい奴」だったのです。接続してあったデーターレコーダーがすっごくワガママな奴で、専用のテープでないと入らないし、セーブミスが得意技というシロモノでした。それでも店の兄ちゃんのくれた専用テープで遊ばせていただきました。
私はその店常備のプログラム集から、テキトーな長さのを選んでは打ち込んで遊んでいたのでした。とにかく、実際に走ってくれないと何かわかりません。プログラム集は全て英語。説明なんか読む気もしません。
打ち間違ったら悲惨です。なんといっても私はBASICなんて、全然知らないのですからね。必死になって直します。直った頃には疲れ果て、店も終わり。あ、シンド。
私はその店に1カ月ほど通いつめました。別れるキッカケは何だったでしょう。それは「コンピュータのお値段」だったのです。私は自分のコンピュータが欲しくなりました。「欲しいなあ。高いなあ。」という私のつぶやきを耳にして、すでにおトモダチ化していた店の兄ちゃんは言いました。
「これさ、新しく入ったんだけどどう? これならキットだから安いし、オールインワンだからとりあえずこれだけで動くよ。最初はこれっくらいで充分だよ。」
そうです、まっかなお屋根のディスプレイ。あの80Kなのでした。私はウレシクなって80Kを見ました。そして、そーしてだな。私は打ちのめされてしまったのだよ。私には、それでもあまりに高価だったのだな。
「ローン」たって、私は浪人。親はアルバイトなんて許しちゃくれません。かといってこんな高価なオモチャ、とてもじゃないがねだれません。
そのとき、私は悟りました。
「コレは私みたいなビンボ人が手を出してはイケナイものなんだ!」
「もう忘れよう、触れてはダメ。欲しくなるからコレは不可触のものなんだ。グスン。」
こうして、私とコンピュータのファーストコンタクトは、悲しい結末を迎えました。
ちなみに、私のこの事件と相前後して、党長の浅田氏および党員の阿閉氏の両名はメデタクも80Kを手中に納めていたそうです。現在の彼らと私の差を考えると、オドロキ!です。エーン、みんなビンボが悪いんじゃ。とはいっても、もし私が80Kを入手していたら、浪人時代が長びいたような気もします。
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