コンピュータ・ウィドウ特集(4)
私とコンピュータの清い関係
by 筧 真由子(現:阿閉雅宏の妻)

1.前口上(別名「いいわけ」)

 無い知恵を絞ってやっとこさ考えついた捨て身の企画。要は私の貧しひコンピュータ体験を書いてしまおうというだけのもの。当然、出会いから始まります。「読んでもアキれないで欲しいのだわ!」というのが、著者の切実な想いなのでゴザイマス。

2.ファースト.コンタクト

 むかしむかしのものがたり。その頃、私はヒマでした。世に言うところの浪人生。当時は「パソコン」なんちゅう言葉は存在しません。そう、「マイコン」!そんな時代でありました。

 さて、私の家の近くのユニーが改装して「マイコンショップ」ができたと想ってください。私はヒマです。やっぱり行きました。

 今じゃデパートの「パソコンコーナー」ヘ行っても、キデイデモが走ってて「デモ中につき触れないでください」とか注意書きがしてありますね。ところが当時は全然逆。

 まずコンピュータを知ってもらわなきゃなりません。展示中のコンピュータの前にはイスが並んでいます。「とにかく、一度触ってくださいよ」の一点バリ。それでも、触ろうする人はホトンド皆無。そして、私はそのホトンド皆無の中のひとりであったのでした。

 私、通いつめました。正直に言います。自分の使う台まで密かに決めておりました。スイッチを入れると勝手にBASICが立ちあがる、あのクリーム色のボディの奴。テンキーが付いてるのが大ヒット。ファンクションキーは………使った記憶がありません。でも、あったような気もします。名前は知らないけれどとっても「かあいい奴」だったのです。接続してあったデーターレコーダーがすっごくワガママな奴で、専用のテープでないと入らないし、セーブミスが得意技というシロモノでした。それでも店の兄ちゃんのくれた専用テープで遊ばせていただきました。

 私はその店常備のプログラム集から、テキトーな長さのを選んでは打ち込んで遊んでいたのでした。とにかく、実際に走ってくれないと何かわかりません。プログラム集は全て英語。説明なんか読む気もしません。

 打ち間違ったら悲惨です。なんといっても私はBASICなんて、全然知らないのですからね。必死になって直します。直った頃には疲れ果て、店も終わり。あ、シンド。

 私はその店に1カ月ほど通いつめました。別れるキッカケは何だったでしょう。それは「コンピュータのお値段」だったのです。私は自分のコンピュータが欲しくなりました。「欲しいなあ。高いなあ。」という私のつぶやきを耳にして、すでにおトモダチ化していた店の兄ちゃんは言いました。

「これさ、新しく入ったんだけどどう? これならキットだから安いし、オールインワンだからとりあえずこれだけで動くよ。最初はこれっくらいで充分だよ。」

 そうです、まっかなお屋根のディスプレイ。あの80Kなのでした。私はウレシクなって80Kを見ました。そして、そーしてだな。私は打ちのめされてしまったのだよ。私には、それでもあまりに高価だったのだな。

 「ローン」たって、私は浪人。親はアルバイトなんて許しちゃくれません。かといってこんな高価なオモチャ、とてもじゃないがねだれません。

 そのとき、私は悟りました。

 「コレは私みたいなビンボ人が手を出してはイケナイものなんだ!」

 「もう忘れよう、触れてはダメ。欲しくなるからコレは不可触のものなんだ。グスン。」

 こうして、私とコンピュータのファーストコンタクトは、悲しい結末を迎えました。

 ちなみに、私のこの事件と相前後して、党長の浅田氏および党員の阿閉氏の両名はメデタクも80Kを手中に納めていたそうです。現在の彼らと私の差を考えると、オドロキ!です。エーン、みんなビンボが悪いんじゃ。とはいっても、もし私が80Kを入手していたら、浪人時代が長びいたような気もします。

3.セカンド、コンタクト

 再会は友人の部屋。彼は何を思ったか、突然出たばかりのX1を購入したのでした。ところが持ち主は、アキレルほど早くX1をテレビとしてしか使わなくなりました。もしかするとこんな風に打ち捨てられるコンピュータ、多いのかしらん?もったいない。

 一方、私の方はマニュアルを見て驚きました。だって、載ってるサンプルプログラムがキレイなんだもん。私が知ってたのは、マルチステートメントの山また山。1行が2段3段になることもメズラシくない!という、本当にわかりにくいシロモノでした。パッと見て、短いのなら何してるかわかってしまうプログラムなんて、見た記憶がありませんでしたから。私はそのとき、浦島タローさんとお友達気分になったのでした。そうそう、立ちあげるときにテープからBASICを読みこんでいるのもオドロキの事実でした。

 そして私は、持ち主に相手してもらえなくなったX1に、サンプルプログラムを打ち込んでは数値を変えたりして無邪気に遊んでいました。しかし、V-RAMがなかったのです。遊びたいなあと思っても表示してくれないプログラムが多くて。結局、私も長続きしませんでした。まあ、もともと人様の持ち物だし、人の部屋へ遊びに行って住人をほってひとりで遊んでいるのもあんまりだしね。

 でも、X1に付いてた「新幹線時計」のリストを見たときはおもしろかったですね。命令のあるはずの部分がぐちゃぐちゃで、その中に分断された新幹線がクッキリと浮かびあがってカンドーでした。反転したかなんかで、命令の方も見たような気もします。でも、実際にどうすればあんな絵が描けるのか、結局わからなくて悲しい気持ちでもありました。

 その後、ガッコのセンセ(浅井という)の部屋で「マシン語入門(題名は忘れている)」の本を見つけて、ひとりでキャイキャイ見た憶えがあります。これが実にかあいい本でして、トンガリ帽子の小人さんがハコを持って来て代入命令の説明をしてくれたのです。そしてこれが、私の読んだ初めてのコンピュータについて書かれた本でした。マニュアルとプログラム集を除いてですが。

 おもしろかったですね。マシン語の表記法が16進数だとか、番地の話とか、CPUのできることって、本当はものすごく少なくて、だけどその組み合わせでイロンナ事ができちゃうとかいった、ホント、うれしくなるような話を教わりました。そーして、この本を読んで以来、私は働いているコンピュータを見ると、おもわず「かわいい!」と感じる人になってしまった、わりに重要な出来事でした。

4.真夜中の「コンピュータ講座・理論篇」

 1986年8月8日、私は待っております。部屋の住人、阿閉雅宏をです。事の発端は、私の友人(かつての教え子)のなにげないひとことでした。

「わたし、コンピュータさわってみたいな………」

私、筧真由子は女性に弱い。

「友達が持っているから頼んだげようか?」

と答えてしまってから後悔しても、時すでに遅し。彼女は期待に胸ふくらませて私の顔を見つめています。

 場面は変わって、阿閉雅宏のアパート。

「あのさあ、私のトモダチがコンピュータに触ってみたいって言ってんだけど………いい?」

「ん、別にかまわんけど。女の子でしょ?ボクの部屋じゃかわいそうだなあ。」

「私は女じゃないようだな」という言葉をグッとこらえて、「そうねえ」と答える私。

「あんたの部屋へ運ぼうか?その方がよかろ。クラブ行けば誰かが車出してくれると思うし。そーしょ。」と阿閉さん。

決まりです。

 さて、いいかげん待ちくたびれた頃、彼は浅田さんと共に戻ってきました。チャッチャカ働く2人を見ながら

 「本当、すみませんねえ」

などとつぶやき、ボーッとしていたのは私です。

 あっというまに2500は車の中。人間3人も乗り込んで私の下宿へ。

「やー、よく働くなや」と感心しつつ、私はヤカンを火にかけます。筧家の人間の特性として、やたら人に茶をすすめるというのがあります。母などは私の友人にコーヒー、紅茶、日本茶と続々と出し、さらにはジュースだ、コーヒーおかわりだと続き、全員をお茶バラにする特技を持ってることで有名です。

 「よかったら、コーヒーでも………」

一見、おずおずと、しかしうむを言わせない構え。あわれ党長淺田敏弘、その夜は睡眠不足は必至でありました。

 なごやかな談笑でした。

 「コンピュータって、実際のとこどうやって動いてんの?」から始まった「コンピュータ講座」は、ロジック回路に始まりハードディスクまで。少なくとも絵夢絶党の中でかわされる会話をまがりなりにも理解できるようになってしまう内容だったようです。淺田さん、あのときは本当にお世話になりました。ねむかったでしょう?

5.無線パーツビル下にて発見される!

 8月下旬金曜日。やっぱり私はヒマでした。御苦労にもクラブへ行く阿閉さんについて無線パーツビルの見学に行きました。「んじゃ」と阿閉さんと別れ、「ビルも見たし帰るべ」と思った私の目に入ったもの。そう、金属板をハリつけた風っぽいビルの外装でした。私は、その板を「コンテン」とたたいてみたくなりました。

 「ボコ」予想に反して鈍い音。「あれ?どうして?」「ボコ、ボコ、ボコ」「うーん、下にゴムでもはってあんのかな?」「ボコボコボコ」「うーん」「ボコッ」

 「あんた、何しとるん?」「おっやあ?」上に行ったハズの阿閉さんです。「おろっ」後ろから見知らぬ人々が2、3人。 見つかっちった。このようにして私は発見されたのでした。

6.いえないひとこと

 ビルの下で発見されて以来、なりゆきって感じで絵夢絶党に出入りしていた私です。でも、心の中は不安でした。だって私、党長さんにちゃんとアイサツしてないんです。

「月例の党会は目前だというのに。イケナイ!このままでは、私、党会に行けないよ!」

 私はチャンスを待っていました。『人前では恥ずかしい………』何度も言いかけて言葉が出ずに立ち往生。まるで片想いのあの人に「好きなんです」と言えずに悩む純情女子中学生!(おいおい....:編)

 それでもチャンスは巡ってきました。あさっては私が顔を出すようになってから最初の月例党集会の日。今日を逃がせばまた1カ月もの間、私は悩める純情乙女と化してしまいます。その日、私は落ち着かない子でしだ。

 幸い、私は党長の淺田さんの車で五福まで行くことになりなした。同乗者は阿閉雅宏。

「ああ、これは天が与えたもうたチャンスにちがいない。阿閉雅宏は私の心の内を知っている立ち会い人だ。」

 車に乗り込み、後部シートでもじもじしている私を見かねて、彼はキッカケを作ってくれました。ああ、持つべきものは良き友です。

 「あのー、淺田さん。筧さんが淺田さんにどうしても言いたいことがあるそうなんですけど」

 「はい、なんでしょう?」

 「ほら、キッカケは作ったから、あとは自分で言いなさい」

 「あ、あのー。………私をクラブに、絵夢絶党に混ぜてくださいっ!」一気に言いました、ハイ。おそらく顔はマッカだったでしょう。

 「えっ?もう混ざってるんじゃないの?

少々、オドロキの口調で党長。

 「いやあ、一応ちゃんとアイサツをしないと党会にも行けないって彼女、少し思いつめちゃってて………。」

すかさず立ち会い人がフォローする。

 「歓迎しますよ。党会にも是非来てください。」

私は安堵しました。いやあ、メデタイ。

 その日、大学前のゲームセンターでヤタラはしゃいでいる筧真由子の姿が見られたのは言うまでもありません。

7.「コンピュータ講座・実践篇」

 さて、晴れて絵夢絶党には混ぜてもらったものの、いかんせん、私はプログラムが組めません。いくらなんでもちいとばかしさびしいんではないかい? と考えた私は、手近にいた阿閉さんに教えを請うことにしました。「マジメにやったら、ひと月でなんとかなるんちゃう?」阿閉雅宏のコトバです。

 

<課題1>短いプログラムのマチガイ捜し

 目についたマチガイを直して走らせるとグラフを描きました。しかし、何か変です。「動くけどオカシイ」というと「やっぱりムリか」と言いつつ、数値を直してくれました。初心者に対してヒドイと思いました。

 

<課題2>1から10までの和を求める。5題ノーヒント。3種類まではできました。あとの2つがわからない。残りひとつの和の公式を使う奴は、できなかった私が馬鹿だと認めよう。しかし、もうひとつのなんて、私いまだに理解できんわ!

 

<課題3>ソート

 「要は順番通りに並べ換えるプログラム」これがヒント。ひとつひとつ比較するのってやだな。私はそう思って考え込みます。「なんかイイ手はないものか」「まだ考えてんの?」とずい分してからヒントをくれる。ひとつ完成。「ヒント無しでもうひとつね?!」だって………。

 

<課題4>フダまきプログラム

 トランプをバラバラに並べて表示しろという。くどいようだがヒントはない!必死で考えてDATA文を使ったら、「DATA文なしでもう一回つくれ」という。鬼のような奴だと思いました。一応なんとかクリアしましたが。

 

 これでBASICは終了。暇なときには自分の作っているアッセンブラのリストを2枚ほどくれて、「ここで何やってるか考えてみて」でした。

 これで阿閉雅宏の「コンピュータ講座・実践篇」は終了しました。ところで私はいまだにプログラムが組めません。クスン、きっと私はマジメじゃなかったのだわ。

8.あとがき

 翌4月、私は実家へ帰りました。家にはQC-10がいます。でもね、オモチャじゃないの。遊ぼうとすると怒られるんです。エーン!

 その後、阿閉さんちのMSX2無断で触り、16×16のスプライト(単色)1コを乱れ飛ばして密かに遊んだ記憶があるっきり。淋しひ。

 本当のことを言えば、アニメーション作って勝手に動き回らせたいのです。私はそれをボケッと見ていたい。でも、全部自分で作りたいし、かといってオモチャも何もない私には夢のまた夢。

 というわけで、あいも変わらず「みんなビンボが悪いんじゃ」と責任転嫁しています。こんな私にオモチャを与えてくれる奇特な人は………いないと思う今日この頃。世間の風は冷たいぜっ!

おしまひ