コンピュータ・ウィドウ特集(2)
志賀高原にスキーにいったんだよ、
いいでしょう!?
(ま、たまには少女の作文なんてゆーのもいいもんだ:編)
by  Chizuko T.(現:しんばる前川の妻)
 ご注意:これは本当に小娘の作文です。それ以下でも以上でもありません。期待すると裏切られます。また、富山弁まるだしです。

私は3月13日から1週間かけて行われた、大学の教養部スキー実習に参加した。

 「1週間もスキーに行くがけ?! いいな~。」

とみんなに言われたが、なんのせ5年ぶりのスキーなもんで(ちゃんと滑れるようになるかなあ、1日目で骨折したらどうしよう………そしたらやっぱり単位あたらんよねえ……………)などと考えていた(この実習は一般教養の体育の単位になるのである)。
 160人ほどを10~15人ずつ1班から13班に分けてある。1班からうまい人順で、私は7班である。しかしまあ、これはオリエンテーションの時に書かされたスキー経験についてのアンケートによる班わけなので、私が上手なわけではない。
 場所は長野県志賀高原ブナ平スキー場。県内のUスキー場にしか行ったことのない私は、その名を聞いただけで緊張してしまうのであった。


ちづこアップ
3/13(日)

 8時半大学出発。バスで行く。「ターミネーター」のビデオを見る。お菓子がとびかっている。
 山の中では、道路沿いに『たぬきの通り道』とか『おさるの親子が通ります』という標識がいくつかあった。さすが志賀高原(?)。
 ブナ平ホテル清広荘に着いたのは夕方だった。
 開講式で各班担当の先生が発表されたのだが、先生によってみんなの反応が全然違う。私の班はK先生というあと2・3年で定年のじいちゃん先生だ。ちょっとがっかりした。また、サングラスをかけてマスクをした長髪の変な兄ちゃん(おっちゃん)が先生だと知ってたいへんびっくりした。私は学生だとばかり思っていた。
 10時半、(一応)就寝の時間。私は「東館」という6畳の部屋である。同じ班の4人と一緒。話によると、40畳の部屋に30人いるところもあるそうだ。
 よかった、4人部屋で。


3/14(月)

 いよいよ滑る。5年ぶりにスキーを手にして(足にして?)緊張する。ブナ平は傾斜が緩やかなのでそう恐いこともないが、とにかく5年ぶり。おっかなびっくりのへっぴり腰で滑っている。ボーゲンなどの指導を受けていると誰かが「あっ、サル!」と叫んだ。
 見ると下の方でかなり大きいサルがのっしのっしと歩いているではないか。上から滑ってきたスキーヤーもびっくりしてよけている。やっぱり、山だなぁー。
 リフトに乗る。これも5年ぶりだからうまく乗れるか心配だったが、大丈夫だった。よかった。でも後から考えるとセーフティーバーをおろしていなかった………。
 夜、夕飯を食べた後、班別ミーティングが行われた。しかし、うちの班のK先生がなかなか来られない。仕方なく班長が呼びに行くと、『先生、酒呑んどられる』………。なんかこれからが不安になってきた………。
 やっと先生が来られたが、手にお皿を持っておられる。「???」と思っていたら、

 「馬刺だ。みんな食え。」

北海道からの空輸だそうだ。食べてみると、肉くさくなくて、おいしかった。
 今日はとても疲れていたので、10時半には寝てしまった。


3/15(火)

「ひえーー、つるつる!」

「なにこれーこんなんすべれんわー。」

 そう、今日はアイスバーンだった。なんでガリガリ音たてて滑らんなんがー?!転んだら普段の倍以上痛いし止まらんし‥‥昨日はちょっぴりまともに滑れるようになったのに、またへっぴり腰に逆戻り。

 傾斜が緩やかなブナ平だが、下の方は急でこぶもある。そんな所へ行くもんだからもう転びほうだい。私はいつも一番最後にみんなの所にたどり着くので、休み時間がない。どうしてだろう、転んでばかりだからかな、それともスピードがないからかな。

ペアリフトに乗ったとき、一緒になったおじさん(ちょっとがっかり)に話しかけられた。

 「お友達たくさん来てますね。」

これは私たちが「富山大学7-6」(7班の6番)などというゼッケンをつけているからであろう。

 「ええ、大学の体育の授業なんです。」

 「そうですか。どこにお泊まりなんですか?」

 「ブナ平です。」

 「私は一ノ瀬に泊まっているんですけどね、今日はずっと〇〇から(忘れた)と滑ってるんですよ。ブナ平、雪はどうですか。」

(イントネ-ションが関西っぽい)

「アイスバ-ンです。」

などと、スキ-についての話が続いたのであった。

 昨日の練習が他の班より少し遅めに終わったためか、

「一番風呂に入らしてやる。」

と先生がおっしゃって、3時半に宿へ帰ることになった。みんな喜んだが、あれは先生自身が疲れたから早く終わったのだと思う。
 お風呂に入り、夕飯を食べ終わると講義である。かねてより‘この講義ではスキ-中の事故のケガのスライドを見せられる。それはとても生々しいものだ’という噂があった。講義が始まった。正面には白い大きな布がはってある。先生がスライドをつけて説明を始めた。「スキ-と安全」という題目であった。私は、いつケガのスライドが出るのかとどきどきしながら聞いていた。しばらくは事故の起こりやすい時間帯などの話が続いたのだが、突然傷口のスライドが現れ、女子の悲鳴があがった。思わず手で顔を覆ってしまったが、やはり恐いもの見たさというか指の間からみていた。(う~ん、女性心理だ:編)そんなスライドが何枚もあってそのたびに悲鳴があがっていた。もうあんなもの見たくない。


手がかじかむ図
3/16(水)

 昨夜雪が降ったのでゲレンデのコンディションはまあまあ。たまに昨日のアイスバーンが顔を出している。空もきれいに晴れていて、気分は最高!しかし、我が7班の行手には地獄が待ちうけていたのであった。
 ブナ平で少し滑って、私たちは先生の言われるままにリフトに乗った。そして問題の寺子屋スキー場に着いた。
 リフトから見ると斜面は見えないのだが、ふちの方を人々が並んで横向きに降りていっている。

 「何あれ。」

と不思議に思ったが、その疑問はリフトを降りたときにわかった。アイスバーンなのだ、つるつるぴかぴかの。しかも傾斜が急である………。

 「せ、せんせー、こんなとこ滑るんですか?」(ほとんど悲鳴)

 先生は、これは大失敗だったというような口調で、

 「ありゃー、計算違いだったのう………。」

 そして氷との戦いが始まった。リフトから見えた、人が鈴なりになっているのとは別の斜面を降りて行った。最初は端の方を横滑りで降りて行ったのだが、途中から斜面を蛇行して滑り始めた。と同時に転ぶわ転ぶ。いったんお尻をついたら最後いくら「止まれー!!!」と叫んでも、「止めてえー!!!」とお願いしても、非情な氷と自分と同じように転んでいる人が相手では全く無駄なのであった。
 その結果は、端っこの柵を壊す人、ずーっと下の方まで滑り落ちていってしまう人、やっと止まって安心したところで上からきた人にぶつかられてまた落ちていった人………などなど、たいへん悲惨であった。

 「もうやーわ!」と怒ったり、「ブナ平帰りたーい。」「うちらちゃんと生きて帰れるがけ………。」と半泣きになったりしながらみんな滑っていた。

 私はというと、1/4くらいまではなんとか滑ったのだがバランスをくずして転んでしまった。思わず氷にしがみついたがそんなことで止まるはずもなく、ずるずると滑り落ちていったのであった。斜面には班の人が座りこんでいる(立てないから)のでぶつかったらどうしようと思ったけど、なんとかよけて行けたのでほっとした。ぶつかる前に止まればいいじゃないかと言われるかもしれないが、止まれないものは仕方がない。
 だいぶん滑り落ちたところに先生がおられて、

 「足、足伸ばせ?」

と叫んでおられる。そうか、と思いおもいっきり足を伸ばしたら、止まった。ちょうど窪みに新雪がたまっているところだった。よかった。

 その後は慎重に滑っていき、班の人が待っているところへ行った。そこには7班15人中の5・6人しかいなかった。後の人はまだ斜面にしがみついているようだった。
 ところが話によると、Aさんが転んだまま横の別のコースに滑り落ちていったという。

 「本当け?」

と言っているうちに、今度はYさんが同じ所に落ちていった。それも助けてくれようとした2班の2人も道連れに(2班の人たちは、私達が転んでいるのを尻目に上手に滑っていって集合していたのであった)。私達はただ、

 「あーーーーーーーーっ!」

と叫びながら見ていることしかできなかった。

 「ねえ、私らどうなんがかねえ………。」

みんなでため息をついた。
 しばらくすると同行の看護婦さんがおりてこられたのでAさんとYさんの事を言うと、助けに行かれた。先生もおりてこられて助けに行かれた。その間私達はひとかたまりになって待っていたわけだが、もう一つの斜面から滑ってきた人が止まれないで突っ込んで来たり、スキー板だけが滑っていったり、木にぶつかる人がいたりとめちゃくちゃだった。
 4人が帰ってきてまた滑り出したのだが、先生はしゅんとしておられた。
 林間コースを通ってブナ平に着くと先生は、

 「いやぁ、すまんかったのう。」

とおっしゃったのでNさんが慰めるつもりで、

 「なーん先生、スキーばっかじゃなくスケートまでさせてもらったちゃ。」

と言ったらよけいにしょげられてしまった。
 しかしまあ、生きて帰って来れて本当によかった。お昼ご飯を食べる私達の顔は、どの班よりも疲れていたけれど。
 午後は午前中に懲りたのか、ブナ平でおとなしく滑っていたのであった。


3/17(木)

 ブナ平で練習中転ぶ。確か普通に滑っていたはずなのにバランスをくずし、「あっ!」と思ったときにはごろんと転がっていた。スキー板で膝と足首のまん中あたり、いわゆる弁慶の泣きどころをかなり強く打ち、痛くて痛くてしばらく立てなかった。やっと立ち上がってみんなの所へ行くと、

 「大丈夫?2回転ぐらいしとったよ。」

と心配してくれたが、そんなに派手に転んだのだろうか。
 午後は他のゲレンデに行って滑ったのだが私はたいてい一番最後になってしまう。列の前の方にいても必ず抜かされてしまうのである。先生や他の人のスピードに恐くてついて行けないのだ。林間コースで、後ろからものすごいスピードで追い抜いて行く人とか、私の目の前で転ぶ人とか、カーブを曲がりきれずにコースの外へ出て行ってしまう人とか、そんなのを見てるとやっぱり恐くなって、どうしても‘安全第一’になる。背中に「お先にどうぞ」なんていうカードでもぶら下げたくなるし、自動車のように初心者マークがあればいいのにと本気で思ったりもする。
 そんな私でもブナ平に帰れば一応平気な顔で滑ることができる。先生は

 「○番と△番と6番(私)の3人はブナ平だとうまく滑るんだがなぁ。」

とため息。
 こうして”ブナ平の女王”トリオは誕生したのだった。うちの班のメンバーは楽しいというか変というかすごいというか、そんな人ばかり。よくこれだけ個性的なのが集まったなと感心する程である。練習中笑いがおこらないことはない。
 先生は都合で明日の夕方帰ってしまわれるというので、一日早く打ち上げをする。
食堂に準備をして先生を呼びに行くと、既に一升ほどきこしめしておられた。ビールをついだり、お菓子を食べたりしているうちに先生が

 「おまえら、自分の滑りが何点か自分で書いて出せ。」

 「………は?」

まったく変な先生である。
食堂は10時でしまるのでその後、私のいる部屋(六畳)に7班の女子13人が集まって騒いでいた。
 お菓子やアイスクリームを食べたり、ジュースやビールを飲んだり、テレビを見たり、話をしたり………女3人寄れば姦しいというが、それどころではなかった。
 O先生(男)が見回りをしていて、騒がしい部屋を叱っているという話があったが、私たちの部屋には来られなかった。


骨折したのだ

3/18(金)

 最後なので少し遠出する。
 リフトを乗り継いで一ノ瀬へ行ったのだが、途中またもやアイスバーンがあった。私たちが恐怖におののいていると、先生は「行くぞ!」とおっしゃって、スキーをかついで斜面の横を下り始めた………。うーん、あれはちょっと恥ずかしかったなあ。でも、また死ぬような目にあうのはいやだったから、ま、いいか。
 一ノ瀬スキー場は、おみやげ屋さんとかホテルがたくさん並んでいて、ブナ平とはまた違った雰囲気である。一時間の自由時間をもらうと私たちは、早速おみやげ屋に入った。
 私はキーホルダーなどの小物ばかりを買った。なぜならまた滑ってブナ平まで帰らなければならないからだ。スキーウェアのポケットに詰めようという魂胆である。お菓子などの大きなものは宿で買えばいい。ところが、

 「妹2人と、さっちゃんと、みのりちゃんと、とおるくん(家庭教師をしている子)と………。」

などと買っていくと、いっぱいになってしまった。左右のポケットだけでは入りきらないので、胸ポケットにも詰め込んだ。帰りに転んで全部こわれたらどうしようとも思ったが、『ま、大丈夫やろ。そんなやわなもんじゃないし。』と思い直した。ある人は、おみやげの入った袋を手にぶら下げていたし、ある人は、小さなリュックをかついでいた。
 お昼を食べて、ブナ平にむかって出発。ところがガスがでていて前が見えない。

 「前の人にしっかりついてくるんだぞー。」という先生の言葉。必死について行くのだがやっぱり抜かされて行ってしまった。

 そのうち、私を抜かしてすぐ斜め前を滑っていたIさんが、突然悲鳴と共に視界から消えてしまった。
 びっくりしてそっちの方へ行ってみると、1~2m下にIさんが落ちていた。ガスで道の端がわからず落ちてしまったのだった。幸いケガもなく、再び滑り始めたのだが、私の滑るスピードは前にもまして遅くなった。
 清広荘に帰って、先生の見送りをする。先生は

 「みんな、”優”だぞ。」(成績には、優・良・可・不可がある。)

とおっしゃって去っていかれた。私たちはいつまでも手をふっていた………。
 夜、他の班が打ち上げをしている中、私たちは寂しくテレビを見ていた………訳はない。東館の間にお菓子やジュースを持ち込み他の班に負けないくらい騒いでいたのであった。
 それも終わり、深夜1時頃、私とTさんはぐっすり眠っていて、AさんとHさんはテレビを見ていた。
すると、突然部屋のドアをドンドン叩く人がいる。私はびっくりして飛び起き、AさんとHさんは見回りかと思って急いで電気とテレビを消して、布団に潜り込もうとした。ドアが開けられ、ふすまが開けられ、誰かが頭を出した。

 「遊ぶぞー!」

O先生であった。お酒くさい。私たちはただ、ただ、ア然とするだけであった。

 「おい、遊ぶぞ。」

 「先生、奥さんになる人にいいつけるよ。」

と、気を取り直したHさんが言った。O先生は、1~2週間後に結婚式を上げる予定なのだ。

 「いいもん。知っとるもん。」

と先生は開き直ったように言った。(もう敬語なんて使わん)
 私が起き上がって眠い目をこすっていると、

 「目、覚めたか?遊ぶぞ。」

と言う。『この先生何考えとんがけよーっ』と思いつつも愛想笑いをする私。
 ところが、それから先生は、ふとんに顔をすりすりしながら叫ぶという信じられないことをしたので、その笑いもひきつってしまった。変態変態、へんたーい!私の布団じゃなかったから良かったけど。
 でも、ほんとに一体何考えとんがー!いくら酔っぱらっとったっていったって、許せんわ。人がせっかく気持ちよくねとったんにー。
 ばかやろー!!


3/19(土)

 とうとう帰る日がきた。
 空はきれいに晴れてスキー日よりである。
 みんなは

 「まだ今日一日滑りたーい。」

と言っていた。宿の前に出ると山々がきれいに見える。
 私はしばらくそこに立ち尽くしていた。
 宿を出てバスの乗り場まで歩いていったが、なかなかバスが来ない。

 「どうしたんかねえ。」

と話ながら待っていると、1・2・3号車が来た。4号車は2時間ほど遅れるというので、3台が先に出発する事になった。私は2号車だったのでよかったが4号車の人はあと2時間も待たないといけないのかと思うとかわいそうだった。
 バスに乗ると、ガイドさんはおじさんだった。おまけに我が7班の先生と同じ名字だったので、大いにうけた。(7班の人だけね)
 行きと同じようにビデオを見たのだが、最初は「座頭市」。次に「新・座頭市」が入りかけたがみんなの反対にあい、「アイアンイーグル」になった。その次は「カンフーキッド」だった。妙な取り合わせだった。
 休憩場所も行きと同じだったのだが、親知らずの辺りの休憩所が一週間前より新しくきれいになっていたのでびっくりした。
 5時頃、大学に到着した

 「ああ、やっと帰ってきた!」

 ケガもせず、病気もせず、五体満足で帰って来ることが出来て本当に良かった。


ちーちゃん、飯を食う

おまけ

 その1

 私は5日間ゴーグルを手放さず、おまけに日焼け止めクリームを持っていかなかったため、見事な顔面ツートンカラーになってしまった。おかげで、下を向いて歩く癖がついてしまった。母から「あんた、なに“くまねこ”みたいな顔しとんがいね。」といって笑われた。

 その2

 4月、スキー実習の成績が出た。7班は全員”優”だった。よかったー?!先生有難うございます。

 その3

 最後の夜、部屋に乱入してきたO先生は、現在某短大で私の妹の体育を受け持っている(講師)。

  えーと、コンピュータに全く関係のないことを長々と書いてしまいましたが、いいんでしょうか………。(う~ん、かわいいから許す!:編)